ずいけい
まごころに生きる  



いま、仏像ブームだそうです。そういえば、女性雑誌などでも、仏像の特集をよく見かけるようになりました。特に若い方に仏像をお参りされる方が多いと聞きます。また、去年は、興福寺の阿修羅像が東京国立博物館で公開されましたが、ものすごい人気で、祝日は、なんと入場するのに3時間待ちというニュースもありました。

人は、仏さまによって救われるということがあります。この仏像ブームは、現代の世相を反映して、最後は仏さまにお願いしようと、救いを求める方が多くなったということかもしれません。
さて、私の尊敬する真如会(しんによえ)紀野一義(きのかずよし)先生も、仏さまに悲しみをお救いいただいたお一人です。その先生のお話を、ここにご紹介いたします。
大悲(だいひ)如意輪(によいりん)
真如会主幹 紀野一義
ひとにはそれぞれ忘れることのできない仏さまがあるという。私にとつてのそれは、中宮寺(ちゆうぐうじ)如意輪観音(によいりんかんのん)である。
昭和十九年の冬、私が松戸の陸軍工兵学校を卒業して見習士官に任官し、戦地に赴くのを待っていた時、広島にいた母がたったひとりで、ひょっこり面会に来てくれたのであった。
母に会うことができたその夜、私は、別れた時の母の笑顔がだれかの顔に似ていたことが気にかかってなかなか眠れなかったが、ふとひらめ閃くように、中宮寺の如意輪観音にそっくりだったことに思い至った。
それはまさしく慟哭(どうこく)の寸前の微笑みであった。母は本当は、心の中で泣いていたのだ。それが私には微笑みに見えたのだった。世の母は、わが子と永遠の別れをする時に皆、中宮寺の如意輪観音のような微笑みを浮かべるのであろう。それは「大悲(だいひ)の微笑」であった。母はあの時、観世音菩薩そのものであったのだ。
私はその後、もう一度だけ母の観世音菩薩の微笑みを見た。それは出征する朝のことである。
母は玄関の右の隅に軍刀を抱いて立っていた。長靴(ちようか)をはいて母の前に行き、軍刀に手を伸ばしたが母は離さない。そうであろう、離した時がこの世の別れとなるのである。私は心の中で「離してくれぇ、離してくれぇ」と祈るように念じた。母はやっと思い切ったのであろう。軍刀を私の胸に押しつけるようにして、「それじゃ…体を大事にしてね…」と、つぶやくように言い、ほほえんだ。その寂しげな、そして不思議に明るい微笑みは、中宮寺の観音さまにそっくりで、私は立ちすくんだまま動けなくなった。そして「母は死ぬ」と閃くように思った。死ぬのは私である筈なのに、そう思ったのである。
この微笑した顔が、私に見せてくれた最後の顔になった。
この日から八ヶ月後の、昭和二〇年八月六日の朝、広島に原子爆弾が投下され、母は私の軍刀を押しつけたその場所で死んだ。
私にとってはこの仏さまは母そのものである。よって私は、終戦七ヶ月もたってやっと日本に帰り、広島の原爆で父母姉妹を喪って一文無しになり、岡山県の山奥の津山市の貧乏寺にいた姉を頼って居候となり、孤独と寂寥(せきりよう)に堪えられなくなって中宮寺の如意輪さまのもとに突っ走り、その足許にひれ伏して二時間も泣き続けたのだった。
以来、五十七年、私は今でも中宮寺の如意輪観音を拝む時、どうしても母の面影と重なってしまう。仏さまには申し訳ないと思うものの、どうしてもそうなってしまうのは、是非に及ばぬ仕儀(しぎ)である。
紀野先生は、東京大学の印度哲学科の学生の時、学徒動員で南方の戦地へ向かい、そして台湾で終戦を迎えられました。その後復員されますが、広島の生まれ育ったお寺も、ご両親も姉と妹も、すべて原爆により失われます。そうして、打ちひしがれた思いで奈良のお寺を巡り、その悲しみを救い取ってくださったのが、中宮寺の観音さまであったといいます。
私は、先生のご講演や著書の中で何度もこのお話をお聞きし、読ませていただき、そのたびに涙が止まらなくなります。
当山のご本尊さまも、手をお合わせいただいた方の、悲しみ苦しみをお救いくださる仏さまであってほしいと願い、中宮寺の観音さまにモデルとなっていただきました。そして、平成十五年の六月、再建されたご本堂にお出ましいただいたのが、現在のご本尊弥勒菩薩さまなのです。
合掌
▲中宮寺如意輪観音さま ▲当山弥勒菩薩さま

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