ずいけい
まごころに生きる  


早くも一年が経過してしまった。
あの日から僕の中で、一日たりとも福島のことを忘れた日はない。悪夢のような一連の出来事。それは一年前の過去のことではなく現在未来へ延々と続く、神の強烈な警告ではなかったか。その警告が全日本人、全人類に果たして本当に届いたのか。当時は興奮し叫んだ人々があの頃の真摯な反省を忘れ、早くもあれ以前の金儲けの日常へと、臆面もなく戻りつつありはしないか。
当時の新聞を読み返すと、一面に次のような言葉達が踊る。
安全確保・物心両面・国の総力・自主的避難・心のケア・隠蔽・政治のスピード・雇用不安・丁寧な説明。そして「負けない」「希望」「開拓精神」「絆」。
今、全国紙と地元地方紙の記事に、明らかな重点の温度差が出ている。地元は、今なお事件の中におり、中央は微妙に事件を風化させ、減関心へと風向きを変えている。
神の警告は果たしてそんなに軽いものなのか。
倉本 聡


あの震災以来、私はずっと福島のことが気にかかっていました。事故を起こした福島第一原発は、大量の放射能漏れを起こしました。世界を震撼(しんかん)させる最悪の大事故となりました。あれから一年半が過ぎようとしています。 
いったい、メルトダウンした核燃料はどうなってしまったのでしょうか。放射能は今も海中に地中に空中に漏れづけているのでしょうか。東電や政府による正確な情報は我々には知らされないままです。 
また、福島県だけではなく周辺の県や町や村の放射線量、その地域でとれる魚や野菜などの食品、また飲料水などに含まれる放射線量はどうなっているのでしょう。政府は、安全だとはいいながらも詳しい数値などはほとんど発表されていません。私たちは何を基準に安全を判断すればよいのでしょうか。

さて私は、今年の6月末に友人の渡辺祥文(しょうぶん)さんを頼り、福島を訪ねました。福島市の南に曹洞宗長秀院様がありす。ご住職の渡辺祥文さんとは、駒澤大学時代の同級生で、ご本山永平寺でも一緒に修行した同学同期の朋友です。
本来雨がうっとうしい時期なのですが、ちょうど梅雨の中休みで、福島市の空はどこまでも碧く澄みわたっていました。
お寺に到着し座敷にお通しいただき、お茶をごちそうになっていると、「ここでは、みんなこれを持っていて常に放射線量を計ってます」といって、彼は二つの線量計を座卓の上にポンと置き、スイッチを入れました。数値はどんどん上がり、線量計は、0.14マイクロシーベルト/hを示しました。普通の平常値は、0.03~0.05ですから、ざっと3から5倍の値です。そして、彼はガラス戸越しに庭を眺めながら「草が伸びてきたんだけれど、外はこの10倍くらいあるので、被爆してしまうからなかなか草むしりができないんですよ」といわれました。
そして、お寺から10㎞ほど隣の飯舘村(いいだてむら)までご案内いただきました。この村は原発から35㎞ほど離れているのですが、いまは全村避難となり全く人が住んでいません。
悲劇は3月15日に起きました。2号機で建屋が爆発し、大量の放射線が風にとばされ、ちょうどこのあたりで雨と雪と一緒に降り注いだのです。何も知らされない村人たちは、雨や雪に濡れるのもかまわず、避難所の交通整理をしたり、食料や毛布を運んだり、炊き出しをしていたといいます。
それから1ヶ月以上もたった4月22日、政府の「全村避難」が決定されました。村の人は唖然(あぜん)としました。それまで汚染された土地に住み、汚染された水でお茶を沸かして飲み、煮炊きをしていたのです。
山村ののどかな景色を見ながら村道を抜けると、車は飯舘村役場に着きました。もちろんあたりには人気がまったくありません。途中、道の両脇のいまは耕作されていない、畑や水田には雑草だけが生い茂っていました。人がいなくなり閑散とした村役場の広場には、24時間放射線を表示している大きな線量掲示板が設置され、刻々と変わる数字が村の放射線量を映し出していました。事故後、役場の周り500メートル四方を除線したということですが、掲示板には0.76という数字が示されています、約20倍の線量です。途中、祥文さんが「除線していないところを計ってみましょう」といって車を降りて道端の数値を計ると、なんと3.5という数字が表示され、同時に線量計からは、ピーピーピーという甲高(かんだか)い退避警告音が鳴りだしました。この数値は平常の100倍に当たります。一年間ここに住み続けると、国が定めた年間被爆限度の30倍もの放射線量で被爆してしまう値です。
別れ際、祥文さんは「福島の現状を見に来てくれてありがとう。本当は原発は安定なんかしていないんですよ。この数値がいまの福島の現実なのです」といわれました。
地図上には県境に線が引いてありますが、現実にはもちろん線も壁もありません。大地はどこまでも一つであり、海も世界に繋がっています。そして、空の風はどこまでも吹いていきます。
ともすると、私たちは「福島は」と、まるで人ごとのように考えてしまいがちです。
でも、線量を計りながら実際に福島を歩いてみて、「これは絵空事ではなく現実なんだ。そして、他人事ではなく自分自身の問題なのだ」ということを、強く感じました。
私たちは、「神の警告」を決して忘れてはならないのです。

▲長秀院様 ▲線量計 ▲ここから飯舘村
▲無人 ▲飯舘役場 ▲役場の線量計
▲100倍の放射線量



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